あれからどれ程の日が経ったであろうか。
僕と担任は、ようやく険悪な関係が解けてきた。
元々、嫌な教師ではないのだが、気分屋なのがたまに傷である。
僕は今日、横浜に来ている。
横浜には大きな楽器店があるのだ。
地元にある小さな楽器店では、品揃えが少なすぎるため、月に一度通っている。
僕は、欲しかったダダリオの弦を買った。
同世代ではエレキギターが主流だったが、僕はガットギターが好きだった。
計算されたボディーから響き渡る、絶妙なうねりが僕の心を落ち着かせる。
エレキやアコギの弦は地元でも売っていたが、ガットギターの弦はYAMAHAしか置いてないのだ。
早々に用が済むと、僕は買う気もないギターの試し弾きをしていた。
そして、スコアを立ち読みしていた時に声をかけられた。
「夜遊びしてるとまた指導だぞ!」
そう言ったのは五組の英語教師だった。
まずいところで出くわしたものだ。
「奇遇ですね。」
「おまえも楽器やるのか?」
「ギターを少々。」
「エレキか?」
「ガットです。」
「今時ガットなんて、やっぱり変わってるなお前。」
この教師がギターを弾くのは知っていた。
だが、授業中に彼が話すミュージシャンはどれもこれも一昔前のロッカーばかりであった。
「ちょっと時間あるか?」
「中学生は早く家に帰らないと。」
「少しぐらい付き合えよ。」
あの時と言い、この教師は人の意見を聞く気がないのであろうか?
またもや強引に押し切られ、喫茶店に行くことになった。
この教師が、僕を相手に何を話すのか興味もあった。
席に着くと、彼はただ一人で話し続けた。
音楽の事、教師を目指したきっかけ、付き合ってる彼女の話。
聞いてもいないのに、自分の話を延々と続ける。
しかし、僕は不思議と退屈はしなかった。
気がつけば、お説教を受ける以外で、こうして大人と話す機会が今までなかったのだ。
カフェオレをご馳走になり、帰りの電車賃までもらった。
帰りの電車では教師が貸してくれたCDを聞いていた。
CDウォークマンから流れる曲は、Led Zeppelinの『天国への階段』であった。
英詞はほとんど理解できないが、じわじわと込み上げてくるアルペジオが頭の中を独占していった。
物憂げな音色と魂の叫び、眠るようなエンディング。
僕は、曲の世界に吸い込まれていった。
~つづく~
放課後のハミング~第六話~
今日は英語がある。
僕は英語教師が教室に来ると、昨日借りたCDを返しに行った。
「これ、ありがと。」
「おぉ、どうだった?」
「天国への階段が良かった。」
「イントロのアルペジオがかっこいいよな。」
「スコア持ってる?耳コピじゃ上手くいかなくてさ。」
「多分、家にあるぞ!明日持って来てやるよ。」
「悪いね!」
そう会話を交わし、席に着こうとすると異変に気づいた。
クラスメートが、不思議そうな表情で僕を見ているのだ。
僕は、みんなの表情が不思議であった。
席に着き、We Are The WorldをBGMに考えていた。
さっきの視線は何だったのだろうか。
少し考えると、答えは見つかった。
きっと、僕が教師と話しているのが珍しかったのであろう。
考えてみれば、僕は『お説教』以外では、教師と会話をほとんどしない。
それに加え、その会話を僕から切り出したことが不思議に思えたのだろう。
僕は自然と笑みがこぼれた。
澄み切った青色のキャンバスに、ミルクがこぼれたような斑点が浮かび上がっている。
それなのに、この窓枠は、その広大な天を切り取っていた。
僕は、切り取られた天を開放したくなり、窓を開けた。
季節は冬に差し掛かる頃、クラスメートからは「寒いから閉めろよ。」と声が上がる。
教師も見かねて、「みんなが風邪ひいたら困るから窓閉めろ。」と言った。
僕は「空は自由が一番でしょ」と答えた。
唖然として静まり返る教室でただ一人、英語教師だけが笑っていた。
空は束縛されてはいけない。
人間もそうだ。
僕たちは、様々なことに束縛されている。
法や道徳、時には不条理な束縛も存在する。
しかし、意志を持った人間は少しの勇気で束縛を取り除くことが出来る。
僕は空を見上げながら、ぼんやりと考えていた。
「少しの勇気か・・・」
遠くにいた空が、少しだけ近づいた気がした。
~つづく~
放課後のハミング~第七話~