僕は、今の今まで無遅刻無欠席である。
無論、早退の数はかなりの数であるのだが。
15日ぐらいまでは数えていたが、後は面倒になって数えるのをやめてしまった。
朝のSHRが終わると僕は担任に呼び出された。
しぶしぶ担任に着いて行くと、廊下でお説教を開始した。
いかんせん、僕は朝は苦手である。
出来ることならば、朝は会話をしたくないのだが、担任は怒りを押えられないようだ。
僕は『遠い目』をし、適度に相槌を打っていた。
すると担任は、僕に平手打ちをした。
僕は普段は冷静を演じているが、一度キレると自分では止められない。
目の前にいるのは、僕とさほど背丈の変わらない中年教師だ。
『こいつに負けることはないだろう』
瞬時にそう判断し、僕は平手打ちを返した。
一瞬、担任は動揺したが、彼もまた僕と同じようにキレると止められない性格なのであろう。
言うまでもなく、その場で怒号飛び交う乱闘へと発展した。
僕の読み通り、負けることはなかった。
しかし、勝つことも出来なかった。
僕の腕力が弱かったこともあるが、途中でクラスメートに見つかり、止められたのだ。
担任は口の中を切り、僕は殴った拳が青く腫れあがっていた。
僕と担任は校長室に呼ばれた。
普通はあまり入ることのない部屋だが、事が事だけに校長室に呼び出されたのだろう。
それは一触即発の空気ではあったが、僕はいつもの冷静さを演じる程度には落ち着いていた。
校長室には、校長・生徒指導・学年主任がいた。
担任は、言い訳がましく状況を説明した。
僕が殴りかかろうとしたので殴ったというのだ。
思わず、僕は噴き出してしまった。
担任はむっとした様子で僕を睨むが、校長は冷静だった。
「何がおかしいんだね?」
「こちらの先生は嘘がお上手なようで。」
「嘘と言うのはどういう事だい?」
「僕は優良生徒ではありませんが、自分から暴力を振るうことはしません。」
そう言い、生徒指導の教師の方を向き、こう言った。
「僕が暴力沙汰で指導を受けたことはありますか?」
「・・・暴力はないな。」
「ですよね?」
校長の方へ向き直し、
「僕は暴力は最も低俗な自己表現だと思っています。」と言った。
担任は黙っている。言い訳でも考えているのだろうか。
校長は僕を見て、「では、担任の先生から手を出したというんだね?」と言った。
「それは、こちらの先生にお聞きになられたらどうですか?」
すると、担任は覚悟を決めたのか、一転して先制攻撃を認めた。
校長先生は、担任に注意をし、僕の方を向いてこう言った。
「でもね、君。暴力に暴力で答えると言うことは、君が考えている低俗な行為を君もしてしまったということになるんだよ?」
「分かってます。それは申し訳ないと思っております。」
「うん、分かってくれるならいいんだ。」
きっと、校長も事なかれ主義で全てを丸く収めようとしているのであろう。
それが、僕にとっては納得がいかなかった。
「僕は納得できません。」
「何でかな?」
「僕は暴力を振るったことは悪いことをしたと思っています。謝れと言われれば土下座でも何でもする覚悟はあります。」
「私は、土下座までは求めていないよ。」
「それは、例え話です。ですが、こちらの先生は土下座はおろか、謝罪の言葉さえありません。」
「私が注意したから、先生も理解されていると思うけど、納得はいかないのかい?」
「悪いことをしたら謝るべきです。幼稚園児でも知っている事です。」
すると、担任は「悪かった。」と言った。すっかりしょげ返っている。
しかし、僕は甘い顔を見せなかった。
「悪かったって言葉に、謝罪の意味は含まれませんよね?それでも国語教師ですか?」
担任は、グッと堪え「すいませんでした。」と言った。
ここで、怒りを押えられる辺りが『大人』なのだろう。
校長は「これで大丈夫かな?」と聞いてきた。
僕は「はい、お騒がせしてすいませんでした。」と言った。
教師同士が目配せをし、この場はこれで納めるようにしたようだ。
教室に戻ると、待ってましたと言わんばかりにクラスメートが集まってきた。
僕が担任を殴った話は、瞬く間に知れ渡った。
しかし、噂というのは、どこからか情報が拡張されていくものである。
『一方的に殴った』とか『気絶するまで絞め落とした』と言った、ありもしない話へと膨れ上がっていた。
僕はいつもの通り、冗談を交えて話をしたのだが、そこに距離の広がりを感じていた。
噂話のおかげで、僕が一番避けていた『不良』というものにカテゴライズされてしまったのだろう。
その後、授業を受けはしたものの、全て上の空であった。
窓から見える空は青く輝き、白く輝く雲を描いていた。
~つづく~
放課後のハミング~第五話~
あれからどれ程の日が経ったであろうか。
僕と担任は、ようやく険悪な関係が解けてきた。
元々、嫌な教師ではないのだが、気分屋なのがたまに傷である。
僕は今日、横浜に来ている。
横浜には大きな楽器店があるのだ。
地元にある小さな楽器店では、品揃えが少なすぎるため、月に一度通っている。
僕は、欲しかったダダリオの弦を買った。
同世代ではエレキギターが主流だったが、僕はガットギターが好きだった。
計算されたボディーから響き渡る、絶妙なうねりが僕の心を落ち着かせる。
エレキやアコギの弦は地元でも売っていたが、ガットギターの弦はYAMAHAしか置いてないのだ。
早々に用が済むと、僕は買う気もないギターの試し弾きをしていた。
そして、スコアを立ち読みしていた時に声をかけられた。
「夜遊びしてるとまた指導だぞ!」
そう言ったのは五組の英語教師だった。
まずいところで出くわしたものだ。
「奇遇ですね。」
「おまえも楽器やるのか?」
「ギターを少々。」
「エレキか?」
「ガットです。」
「今時ガットなんて、やっぱり変わってるなお前。」
この教師がギターを弾くのは知っていた。
だが、授業中に彼が話すミュージシャンはどれもこれも一昔前のロッカーばかりであった。
「ちょっと時間あるか?」
「中学生は早く家に帰らないと。」
「少しぐらい付き合えよ。」
あの時と言い、この教師は人の意見を聞く気がないのであろうか?
またもや強引に押し切られ、喫茶店に行くことになった。
この教師が、僕を相手に何を話すのか興味もあった。
席に着くと、彼はただ一人で話し続けた。
音楽の事、教師を目指したきっかけ、付き合ってる彼女の話。
聞いてもいないのに、自分の話を延々と続ける。
しかし、僕は不思議と退屈はしなかった。
気がつけば、お説教を受ける以外で、こうして大人と話す機会が今までなかったのだ。
カフェオレをご馳走になり、帰りの電車賃までもらった。
帰りの電車では教師が貸してくれたCDを聞いていた。
CDウォークマンから流れる曲は、Led Zeppelinの『天国への階段』であった。
英詞はほとんど理解できないが、じわじわと込み上げてくるアルペジオが頭の中を独占していった。
物憂げな音色と魂の叫び、眠るようなエンディング。
僕は、曲の世界に吸い込まれていった。
~つづく~
放課後のハミング~第六話~