授業が終わると、廊下が騒がしくなった。
隣のクラスの人たちが、クラスメートに「何してた?」と聞きに来ているようだ。
話しを終えた人たちは、僕を一瞥して教室に戻って行く。
まるで、僕は動物園の檻の中にいるようであった。
その様子を他人事のように眺めていた時、隣で授業をしていた社会科教師が入ってきた。
扉の近くにいるクラスメートと話しをすると、一直線に僕の方へ歩み寄ってきた。
社会科教師は、お世辞にもスマートとは言えない巨体を拵えている。
その教師が近づいてくる様子は、重機並の威圧感があった。
「待って、あれは担任にやらされたんだって。」
何も言われる前から言い訳をしていた。
「ギター見せてみろ。」
「だから、授業妨害じゃなくて、授業だったんだよ。」
「いいから、ギターを見せろ。」
僕は逆らわず、見せることに決めた。
「ほぉ、松岡良治なんて渋いギターじゃん!」
「えっ?」
「このギターどうしたんだ?」
僕は返答に困ってしまった。
全く持って、予想外の状況には弱い。
「まさか、言えないような事したのか?」
「いやっ、親父のガットだよ。」
「へぇ、親父さんいいセンスしてるな!」
「松岡知ってるんですか?」
「知ってるも何も、俺たちの憧れのギターだよ。」
「へぇ~、俺はギブソンの方がいいけど。」
「お前、馬鹿か?これ、ハンドメイドだぞ!」
「えっ?」
僕は、初めてこのギターの価値を知った。
親父は、僕に何も言っていなかった。
「俺だったら、こんなギター子供でも絶対に触らせないけどな。」
「親父、仕事中の事故で右手の指が動かないんだ。」
「・・・そうか。だったら、尚更このギターは大事にしないとな!」
「大事にしてるよ。」
そんな会話を交わした後、社会科教師は教室を出て行った。
僕は、朝から驚きの連続で感覚が麻痺していた。
僕を庇う英語教師、意外にもギターに理解のある担任や社会科教師。
そして、このギターの本当の価値。
放課後が楽しみで、その後の授業はいつもに増して上の空であった。
それでも、僕の心は澄み渡る青空のように清々しい気持ちで溢れていた。
~つづく~
放課後のハミング~最終話~
隣のクラスの人たちが、クラスメートに「何してた?」と聞きに来ているようだ。
話しを終えた人たちは、僕を一瞥して教室に戻って行く。
まるで、僕は動物園の檻の中にいるようであった。
その様子を他人事のように眺めていた時、隣で授業をしていた社会科教師が入ってきた。
扉の近くにいるクラスメートと話しをすると、一直線に僕の方へ歩み寄ってきた。
社会科教師は、お世辞にもスマートとは言えない巨体を拵えている。
その教師が近づいてくる様子は、重機並の威圧感があった。
「待って、あれは担任にやらされたんだって。」
何も言われる前から言い訳をしていた。
「ギター見せてみろ。」
「だから、授業妨害じゃなくて、授業だったんだよ。」
「いいから、ギターを見せろ。」
僕は逆らわず、見せることに決めた。
「ほぉ、松岡良治なんて渋いギターじゃん!」
「えっ?」
「このギターどうしたんだ?」
僕は返答に困ってしまった。
全く持って、予想外の状況には弱い。
「まさか、言えないような事したのか?」
「いやっ、親父のガットだよ。」
「へぇ、親父さんいいセンスしてるな!」
「松岡知ってるんですか?」
「知ってるも何も、俺たちの憧れのギターだよ。」
「へぇ~、俺はギブソンの方がいいけど。」
「お前、馬鹿か?これ、ハンドメイドだぞ!」
「えっ?」
僕は、初めてこのギターの価値を知った。
親父は、僕に何も言っていなかった。
「俺だったら、こんなギター子供でも絶対に触らせないけどな。」
「親父、仕事中の事故で右手の指が動かないんだ。」
「・・・そうか。だったら、尚更このギターは大事にしないとな!」
「大事にしてるよ。」
そんな会話を交わした後、社会科教師は教室を出て行った。
僕は、朝から驚きの連続で感覚が麻痺していた。
僕を庇う英語教師、意外にもギターに理解のある担任や社会科教師。
そして、このギターの本当の価値。
放課後が楽しみで、その後の授業はいつもに増して上の空であった。
それでも、僕の心は澄み渡る青空のように清々しい気持ちで溢れていた。
~つづく~
放課後のハミング~最終話~
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放課後になり、僕は生徒指導室に向かった。
あの、必要以上に閉鎖的な空間に自ら足を向けるとは、自分自身も驚きだ。
部屋に入ると、そこにはギターがあった。
ボディーの裏側には中学名が書かれたシールが貼ってある。
英語教師が音楽室から借りてきたのだろう。
だが、肝心の英語教師はそこにいない。
きっと、英語教師は顧問を勤めるソフトテニス部に顔を出しているのだと思う。
僕は、奥のソファに腰掛けた。
いつもは、手前のソファが生徒用である。
誰かが出入りする時に、生徒の顔が見えないように配慮されているのであろう。
だが、僕にとって入り口側というのは、部屋を出やすいという発想でしかない。
今日は、生徒指導を受けるために来たわけではない。
指導は指導でも、音楽の指導なのだ。
だから、こうして堂々と奥のソファに腰掛けている。
僕は、チューニングをしながら英語教師を待った。
自分のギターのチューニングが終わってしまったので、備品のギターもチューニングしていた。
すると、英語教師が入ってきた。
「待たせて悪かったな!」
「部活?」
「おう、メニューだけ伝えて来た。」
「やっぱ、そうか。」
「チューニングしといてくれたのか?」
「暇だったから。」
「悪いな!」
そう言って、英語教師は入り口に近いソファに腰掛けた。
英語教師は、左利きなのにギターは右で弾く。
『始める時に左で練習すればよかった』と、授業中によく言っていた。
「で、どこが弾けないんだ?」
僕は、スコアを開き「ここが上手く出来なくて。」と言った。
「あぁ、ここか。俺も最初弾けなかったとこだ!」
「マジで?」
「おう!ライブビデオ見て勉強したんだよ。」
「どんな風に?」
「ここはな、スコア通りじゃ運指が間に合わないんだよ。」
「じゃぁ、スコアが間違ってんの?」
「こういうのは、音しか考えてないからな。運指までは考えてないんだ。」
それから、英語教師は心地良い運指の方法を実演し、僕はそれを真似た。
「な?簡単だろ?」
「すごいな、スコアと違う弾き方なんて!」
「ギターはピアノみたいに、押せば鳴る楽器じゃないから、考えて弾かなきゃな!」
そう言いながら、英語教師は人差し指で頭を指した。
「この頭じゃ無理って?」
反抗心から、そう聞いた。
「いや、その逆だ。」
「どういう事だよ?」
「お前は、深く考えるところとラフに考えるところが混ざってるんだよ。」
「ふ~ん。」
英語教師は、僕を真っ直ぐ見据えて、こう続けた。
「人間の感情ってのはな、コップみたいなもんなんだ。」
「って、言うと?」
「そのコップはな、歳を重ねるごとに大きくなったり、広がったり、形を変えていくんだ。」
「うん。」
「でな、そのコップに『感情』っていう水が、どんどん溜まっていくんだ。」
「うん。」
僕は頷く事しか出来なかった。
「お前のコップは、同級生よりは大きいかもしれない。だけどな、所詮は中学生に毛が生えた程度だ。」
「コップから毛が生える?」
「真面目な話だ。」
「ごめん。」
真面目なムードを壊そうとする、僕の悪い癖が出た。
「周りの奴らはコップが小さいから、すぐに溢れて感情を表現したがる。」
「あぁ、言われてみれば。」
「でもお前は、他よりちょっとだけ大きいから、なかなか溢れない。」
「そうかもね。」
「だから、冷静でいられるし、溢れる前に水を小出しに吐き出す余裕もある。」
「うん。」
英語教師は、そこまで話すと一度間を置き、身を乗り出して続けた。
「でもな、それじゃダメなんだ。」
「何で?」
「今の内に、水を溢れさす練習をしておかないと、コップが大きくならないんだ。」
「そう言われてもね。」
「感情を剥き出しにするのは、恥ずかしいし、勇気もいる。でもな、それを今やっておかないと、大人になった時、お前が一番嫌いな『大人』になっちまうんだ。」
「嫌いな大人?」
そこまで来て、英語教師の目が潤んでいるのが分かった。
「人間は完璧じゃない。だから、自分の経験則でしか判断できない。」
「うん。」
「お前はバカじゃないから、その経験則を身につければ視野が広がるはずだ。」
「うん。」
「理論武装するのもいいけど、それに見合った感性を身につけなきゃいけないんだ。」
そう言うと、英語教師の目からは、ついに涙がこぼれ落ちた。
気づくと、僕の目からも同じものがこぼれていた。
「俺もな、ガキのころはお前みたいに周りを冷めた目で見てたんだ。」
「えっ?」
「でもな、高校の先生がこの話してくれてな。俺は、その時からギター始めたんだ。」
「ギターで表現したわけ?」
「そうだ。何も無しで表現するのは恥ずかしかったからな。」
「それで、俺に・・・。」
僕は、すでに涙を堪えることはできなかった。
「お~い、そこにいるのは問題児か~?」
扉の向こう側から、声が聞こえた。
この独特な声は、社会科教師の声である。
僕と英語教師は、慌てて顔を拭った。
そして、声の方に顔を向けるのとほぼ同時に扉が開いた。
社会科教師は、僕たちの顔を見て一瞬驚いた表情を見せたが、すぐさま気を取り直し、こう言った。
「俺も混ぜてくれよ。」
それから、僕と英語教師はギターを弾き、社会科教師がそれに合わせて歌い始めた。
英語教師は、お世辞にも歌が上手いとは言えなかったが、さすがに発音は良かった。
僕は、英語が分からないので、覚えたての運指を噛み締めるように弾いていた。
しばらくすると、担任も入ってきた。
何も気にせず、4人で楽しんだ。
覚えたての運指にも慣れ、セッションを楽しめるようになっていると、英語教師がこう言った。
「お前も歌えよ!」
「いいよ、英語分からないし。」
すると、担任が「音楽は心だぞ!」と言ったので、僕は仕方無しに、デタラメな英語で歌った。
楽しい時間と言うものは、過ぎ去るのが早い。
いつの間にか、最終下校の時間になっていた。
僕は、これほど遅い時間まで学校に残った事はなかった気がする。
冬に片足を踏み込んでいるため、外は暗くなっていた。
みんな鼻歌を歌いながら片づけを始めた。
僕は生徒指導室を出たとき、3人の教師に向かい、
「教師目指しちゃうかも!」と言った。
担任は、「じゃあ、まずは早退を減らせ!」と言った。
社会科教師は、「教師は大変だぞ。お前みたいな生徒がいるし。」と言った。
それを聞き、英語教師は笑っていた。
僕は、部活を終えた生徒の群れから少し離れて歩いた。
真っ暗な夜空には綺麗な星が光っていた。
僕は、空を見ながら天国への階段を鼻歌で歌っていた。
~おわり~
放課後のハミング~あとがき~
あの、必要以上に閉鎖的な空間に自ら足を向けるとは、自分自身も驚きだ。
部屋に入ると、そこにはギターがあった。
ボディーの裏側には中学名が書かれたシールが貼ってある。
英語教師が音楽室から借りてきたのだろう。
だが、肝心の英語教師はそこにいない。
きっと、英語教師は顧問を勤めるソフトテニス部に顔を出しているのだと思う。
僕は、奥のソファに腰掛けた。
いつもは、手前のソファが生徒用である。
誰かが出入りする時に、生徒の顔が見えないように配慮されているのであろう。
だが、僕にとって入り口側というのは、部屋を出やすいという発想でしかない。
今日は、生徒指導を受けるために来たわけではない。
指導は指導でも、音楽の指導なのだ。
だから、こうして堂々と奥のソファに腰掛けている。
僕は、チューニングをしながら英語教師を待った。
自分のギターのチューニングが終わってしまったので、備品のギターもチューニングしていた。
すると、英語教師が入ってきた。
「待たせて悪かったな!」
「部活?」
「おう、メニューだけ伝えて来た。」
「やっぱ、そうか。」
「チューニングしといてくれたのか?」
「暇だったから。」
「悪いな!」
そう言って、英語教師は入り口に近いソファに腰掛けた。
英語教師は、左利きなのにギターは右で弾く。
『始める時に左で練習すればよかった』と、授業中によく言っていた。
「で、どこが弾けないんだ?」
僕は、スコアを開き「ここが上手く出来なくて。」と言った。
「あぁ、ここか。俺も最初弾けなかったとこだ!」
「マジで?」
「おう!ライブビデオ見て勉強したんだよ。」
「どんな風に?」
「ここはな、スコア通りじゃ運指が間に合わないんだよ。」
「じゃぁ、スコアが間違ってんの?」
「こういうのは、音しか考えてないからな。運指までは考えてないんだ。」
それから、英語教師は心地良い運指の方法を実演し、僕はそれを真似た。
「な?簡単だろ?」
「すごいな、スコアと違う弾き方なんて!」
「ギターはピアノみたいに、押せば鳴る楽器じゃないから、考えて弾かなきゃな!」
そう言いながら、英語教師は人差し指で頭を指した。
「この頭じゃ無理って?」
反抗心から、そう聞いた。
「いや、その逆だ。」
「どういう事だよ?」
「お前は、深く考えるところとラフに考えるところが混ざってるんだよ。」
「ふ~ん。」
英語教師は、僕を真っ直ぐ見据えて、こう続けた。
「人間の感情ってのはな、コップみたいなもんなんだ。」
「って、言うと?」
「そのコップはな、歳を重ねるごとに大きくなったり、広がったり、形を変えていくんだ。」
「うん。」
「でな、そのコップに『感情』っていう水が、どんどん溜まっていくんだ。」
「うん。」
僕は頷く事しか出来なかった。
「お前のコップは、同級生よりは大きいかもしれない。だけどな、所詮は中学生に毛が生えた程度だ。」
「コップから毛が生える?」
「真面目な話だ。」
「ごめん。」
真面目なムードを壊そうとする、僕の悪い癖が出た。
「周りの奴らはコップが小さいから、すぐに溢れて感情を表現したがる。」
「あぁ、言われてみれば。」
「でもお前は、他よりちょっとだけ大きいから、なかなか溢れない。」
「そうかもね。」
「だから、冷静でいられるし、溢れる前に水を小出しに吐き出す余裕もある。」
「うん。」
英語教師は、そこまで話すと一度間を置き、身を乗り出して続けた。
「でもな、それじゃダメなんだ。」
「何で?」
「今の内に、水を溢れさす練習をしておかないと、コップが大きくならないんだ。」
「そう言われてもね。」
「感情を剥き出しにするのは、恥ずかしいし、勇気もいる。でもな、それを今やっておかないと、大人になった時、お前が一番嫌いな『大人』になっちまうんだ。」
「嫌いな大人?」
そこまで来て、英語教師の目が潤んでいるのが分かった。
「人間は完璧じゃない。だから、自分の経験則でしか判断できない。」
「うん。」
「お前はバカじゃないから、その経験則を身につければ視野が広がるはずだ。」
「うん。」
「理論武装するのもいいけど、それに見合った感性を身につけなきゃいけないんだ。」
そう言うと、英語教師の目からは、ついに涙がこぼれ落ちた。
気づくと、僕の目からも同じものがこぼれていた。
「俺もな、ガキのころはお前みたいに周りを冷めた目で見てたんだ。」
「えっ?」
「でもな、高校の先生がこの話してくれてな。俺は、その時からギター始めたんだ。」
「ギターで表現したわけ?」
「そうだ。何も無しで表現するのは恥ずかしかったからな。」
「それで、俺に・・・。」
僕は、すでに涙を堪えることはできなかった。
「お~い、そこにいるのは問題児か~?」
扉の向こう側から、声が聞こえた。
この独特な声は、社会科教師の声である。
僕と英語教師は、慌てて顔を拭った。
そして、声の方に顔を向けるのとほぼ同時に扉が開いた。
社会科教師は、僕たちの顔を見て一瞬驚いた表情を見せたが、すぐさま気を取り直し、こう言った。
「俺も混ぜてくれよ。」
それから、僕と英語教師はギターを弾き、社会科教師がそれに合わせて歌い始めた。
英語教師は、お世辞にも歌が上手いとは言えなかったが、さすがに発音は良かった。
僕は、英語が分からないので、覚えたての運指を噛み締めるように弾いていた。
しばらくすると、担任も入ってきた。
何も気にせず、4人で楽しんだ。
覚えたての運指にも慣れ、セッションを楽しめるようになっていると、英語教師がこう言った。
「お前も歌えよ!」
「いいよ、英語分からないし。」
すると、担任が「音楽は心だぞ!」と言ったので、僕は仕方無しに、デタラメな英語で歌った。
楽しい時間と言うものは、過ぎ去るのが早い。
いつの間にか、最終下校の時間になっていた。
僕は、これほど遅い時間まで学校に残った事はなかった気がする。
冬に片足を踏み込んでいるため、外は暗くなっていた。
みんな鼻歌を歌いながら片づけを始めた。
僕は生徒指導室を出たとき、3人の教師に向かい、
「教師目指しちゃうかも!」と言った。
担任は、「じゃあ、まずは早退を減らせ!」と言った。
社会科教師は、「教師は大変だぞ。お前みたいな生徒がいるし。」と言った。
それを聞き、英語教師は笑っていた。
僕は、部活を終えた生徒の群れから少し離れて歩いた。
真っ暗な夜空には綺麗な星が光っていた。
僕は、空を見ながら天国への階段を鼻歌で歌っていた。
~おわり~
放課後のハミング~あとがき~